今も昔も-その壱
 
   
 
佐々木 高行
(ささき たかゆき)
1830〜1910
 
   
   
   

 

 
     
ーその壱ー
     

長いことかかってようやく「樋口真吉伝」上梓に漕ぎ着けた。
文字通り漂流者が難破船の木っ端を使って島にたどりついた気分である。
編集者やマネージャーに大きな迷惑をかけながらである。謝して余りある。

「樋口真吉伝」の中身は実物を読んでいただくことにして、
このホームページでは、それにまつわる愉快な逸話、想いなど、地元にいたからこそ書けた「樋口真吉伝」の裏舞台などをお話したい。

高知市瀬戸という郊外にある海に面した小さな漁村がある。
小さな入り江である、ほんとにごく小さな人家の集まり。
ここに坂本龍馬とも真吉とも親しかった佐々木三四郎(維新後「高行」と改名)の生家跡がある。

某日、取材のため訪れた。二度目である。
初回は何の手がかりもなかったから。庭先に立つ某家のやや高齢の女性に尋ねた。
「どなたか佐々木さんのことお詳しいお人はいませんか?」
とたんに彼女が歩き始めた、質問には一切答えずにである。
当惑した。
・・・詳しい人の家に案内してくれるのだろうか?

佐々木は、現在高知でも知る人は稀である。
しかし、長崎にいた海援隊長龍馬は暗殺された年(慶応三年)の八月下旬から九月初旬にかけて、十一通もの手紙を佐々木に出すほど親しかった。
佐々木は藩の高級官僚である「上士」。
龍馬は武士扱いされなかった「郷士」の次男坊。
龍馬は郷士ではなく、郷士のせがれで、しかも跡取りにはなれない厄介者の境遇にあった。

高齢の女性はとことこ歩く。何も話さない。
やがて 「佐々木高行侯爵生誕の地」 という字の記されたばかでかい石碑のあるわずかな平地に至った。

日本の漁村の常で、人家は山すそにへばりつくように密集し、平地(ひらち)はごく少ない。人家の前には海が広がる。

「これが高行サンの石碑です」
・・・んなこと言われんでも。
「高行サンの生まれた佐々木家は貧乏で、高知城下のお屋敷を手放してこちらに移り住まわれました。」
・・・うん、それなら彼の自伝「保古飛呂比(ほごひろひ)」に書いてある。
それがどーした?

「本当に貧乏でして、高行サンが生まれた時、産湯を沸かす薪(昔は湯は薪を燃やして沸かせた)を買うお金もなかったんです。」
・・・そりゃ、初耳だ。
酷い貧乏で、上士でありながら城下に住めなくなって親父殿は趣味の釣りも出来るから瀬戸に移ったとは書いてある。
だが産湯を沸かすことも出来んかったほどかいな。

老婆の話は続く。
「うちの先祖が薪を差し上げて、それで高行サンは赤ちゃんになったんです。」
高行の自伝は東大出版会から刊行されて辛うじて図書館に行けば読むことができる。復刻されたという話は聞かないし、筆者自身複写して気になる部分のみ持っている。

「自伝は都合の悪いことは書かない」としたもので割り引いて読むのが常識だ。
ましてや自分の誕生の有様なんぞ書ける道理がない。

 
 
南寿吉
(みなみじゅきち)
1951/高知市生まれ
京都大学大学院
木材工学専攻
修了後高知県に就職。
板垣会/会員
土佐史談会/会員

趣味は、古文書読みと
古墓巡り。
環境問題(山・川・海のつながり)に深い関心を持っている。