樋口真吉とは
 幕末の志士たち
 年譜
 
   
   
   
   
   
   

 

 
     
樋口真吉 <年譜 1815〜1870>    
  文化12年(1815) 1歳 土佐中村に徒士樋口信四郎の長男として出生。
  天保8年(1837)


23歳


無外流から破門される。
九州に渡り柳川の大石流に入門。
60日(30日とも)にして免許皆伝を許される。
  天保11年(1840) 26歳 再び九州に渡る。
  弘化元年(1844) 30歳 父高齢のため代勤する。
  弘化2年(1845) 31歳 藩主西巡の際、褒辞(武芸・学問多年出精)をもらう。
  弘化3年(1846) 32歳 大坂に行く、篠崎小竹に入門する。
  弘化4年(1847)

33歳

九州柳川に遊ぶ。
父信四郎死去。
  嘉永2年(1849)

35歳

跡目相続(家芸とも)。
剣術及び砲術修行のため柳川、長崎に遊ぶ。
  嘉永3年(1850) 36歳 坂本龍馬と中村(四万十川河川改修工事)で逢う。
  嘉永5年(1852 )




38歳




中村⇒九州⇒江戸⇒帰郷(翌年)一年近い壮大な旅。
長崎でジョン万次郎に逢う。
大坂で佐々木三四郎と合流。
この旅行中、諸所で他流試合を試みる。
江戸で佐久間象山に入門。
  安政元年(1854)

40歳

中村下田など幡多郡内17カ所に砲台を築造する。
私的に大砲を鋳造する。
  万延元年(1860) 46歳 香美郡奉行所へ奉職。(桜田門外の変が起こる)
  文久元年(1861)


47歳


9月/帰国した武市半平太と接触。
10月/坂本龍馬「坂竜飛騰」と日記に記す。
12月/藩庁を辞して中村に帰る。
  文久2年(1862)






48歳






3月/越後浪人本間精一郎来るも逢わず。
  坂本龍馬脱藩。
4月/執政吉田東洋暗殺される。
6月/藩主と共に上京。
7月/大坂で「竜馬に逢う、一円贈る」と日記に記す。
9月/西国探索(主に九州)のため谷干城と大坂出立。
11月/大坂帰着後、直ちに江戸へ差し立てられる。
  文久3年(1863)







49歳







1月/容堂と共に蒸気船で大坂へ。
  途中、伊豆下田において、容堂・海舟会談実現〜龍馬赦免。
2〜3月/坂本龍馬の動静を詳細に記す。
  特に2月22日注目(左膳日記・郷士坂本龍馬のこと)
  真吉日記・容堂にお目通り仰せ付けられる。
4月/帰高(勤王党弾圧始まる)文書による献策を連発
  勤王党弾圧の不可を論じる。
11月/6連発銃を容堂に献じる。
  元治元年(1864) 50歳 雌伏続く。
  慶応元年(1865)


51歳


御勘定人加役拝命。
鋳造局下役加役拝命。
武市半平太 切腹。
  慶応3年(1867)







53歳







4月/徒士目付役格式御用人に京都へ差し立てられる。
6月/西郷隆盛を相国寺に訪問。
7月/中岡慎太郎と頻繁に行き来する。
8月/辞職願いを提出するも認められず。
9月/西郷隆盛、大原卿と頻繁に行き来する。
10月18日/坂本龍馬から望月清平に宛てられた手紙の中に
  樋口真吉への伝言があった。
11月/坂本龍馬・中岡慎太郎 暗殺される。
  慶応4年(1868)
明治元年






54歳







1月/伏見戦争始まる。
  砲車を引いて少人数で参戦。
  神戸で奪われた錦旗を取り返し、守護して征討戦に貢献。
4月/戊辰戦争に本格的に参入する。
  ジョン万次郎を招いて飲む。
5月/軍夫募集のためスイス人の仲介で英国籍の蒸気船で帰高。
  戊辰戦争では主に兵站を担当・小荷駄裁判役となる。
11月/高知へ凱旋。
  明治2年(1869)

55歳

2月/長州及び薩摩へ出張する(〜4月)。
11月/徳大寺大納言家公務人拝命する。
  明治3年(1870)
 
56歳

1月/叙従七位。
6月/東京麻布の客舎にて病没する。